BRMstage α誕生まで

BRMstage α誕生まで

1999 年4 月、二番目の弟が神経痛で苦しんでいると母親からの電話から物語は始まります。神経痛の特効薬と痛み止めを送って1 週間の後に弟から電話がありました。

「お兄ちゃん、あの痛み止めは良く効くね」

神経痛は全く改善されていなく、痛みが抑えられただけでした。「去年の秋頃から背中が痛くて、掛かり付けの整形外科では神経痛、内科では胃炎と診断された」と言います。

整形のDr.は東大医学部で准教授までなった方で、一度ギックリ腰でお世話になったことがあります。その時は「若いのに運動不足も甚だしい」と怒られた記憶があります。
内科のDr.は東大・虎ノ門病院を経て開業された医師で信頼のおける医師だと思います。
以前、時間外に診て戴いたときに看護師が不在で先生自ら注射をしてくれました。その時「先生、凄く注射が上手いんですね」と言った記憶が残っています。
この優秀な二人の医師が違う診断をしているのが気になりました。

「もしかして、膵臓癌かもしれないから○○病院で検査を受けなさい」

「お兄ちゃん脅かさないでよ」

病院しかし、弟は素直に○○病院に出向きました。そこで初診専門に診ていた内科部長が検査入院を勧めてくれました。そして、膵臓癌が診断されました。
なまこの様な膵臓は頭部、体部、尾部と3 つに別れます。尾部で発生した腫瘍が早期なら5 年生存率はまだ高いですし、手術も尾部の切除と脾臓摘出で済みますが、頭部の場
合では膵頭十二指腸切除術(PD)と呼ばれる難易度の高いオペが施行されます。
検査の結果、遠隔転移は無いが膵鉤部の腫瘍のために2 番目に太い血管(おそらく上腸間動脈)に浸潤しているので手術は出来ないと云われてしまいました。
この血管への浸潤は膵臓癌取り扱い規約でも手術適応無しと記されていますので、違う施設でも手術は出来ません。
癌の3 大治療は手術、化学療法(いわゆる抗癌剤治療のこと)、放射線治療がありますが、膵臓が十二指腸から背中側の脾臓にあるため膵臓癌の放射線治療は難しい、化学療法もジェムザール未認可の時代だったからシスプラチンしか適応がありませんでした。そのシスプラチンも奏効率は10 %台で寛解する可能性は極めて低いのです。現在ではジェムザールがファーストチョイスで使われますが、2 ヶ月程度の延命しか出来ません。
医師が一番恐れる癌が膵臓癌だと言うのも頷けます。


ひらめく

「治療法が無いのなら自分で作るしか無い」
こういう発想が出来るのも薬屋の店頭経験が長いせいだった事と胆管癌で黄疸も取れperformance status が驚くべきほど改善した例がキトサンオリゴに有ったことを体験していたからかもしれません。

材料は海洋科学研究会のMCM、コーヨーケミカルのキトサンオリゴ糖、グルコサミン、etcをどう配合するかに苦心しました。
何度も配合を替えて試してみましたが、体調はすこぶる良くなるのですが、肝心な腫瘍マーカーが下がりません。そうこうしている内に吐血で入院、その後国立がんセンターに転院しましたが、癌が十二指腸を閉塞させているのが判明し、バイパス術をすることになりました。
術後、食べられるようになったので配合比を替えたBRMstage をやっと再開して飲ませることが出来ましたが、本人の希望も有りシスプラチン投与が開始されました。
その副作用は激しく、いつまでも吐き気が止まらずその後に呑ませることは出来ませんでした。
弟は緩和ケアがある施設に移り、そこで7 ヶ月の闘病を終わらせることとなりました。
40 歳の誕生日から1 ヶ月少しの時でした。

いつか呑める時が来るかもしれないと云う淡い期待で開発は続けていたのですが、それを使う機会は訪れませんでした。


弟の死後、店頭に82 歳の老人が現れました。無治療で首に出来た悪性リンパ腫だと言います。

その老人に試して見るかと問うと「試してみたい」と言うので差し上げることにしました。
その首のリンパ腫は少しずつ小さくなり、1 年後には分からなくなってしまいました。その老人は5 年後、87 歳の時に老衰で亡くなったとヘルパーの方から聞きました。

「もう歳だからお迎えが来るのは仕方ないけど、癌で死ぬのは苦しそうだから嫌だな」

と何度も言っていたのを思い出しました。
人が一番楽に死ねるのが「老衰」だそうです。あの方は一番楽な方法で召されて良かったと思います。